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Himebuta-no-kai ( a volunteer group creating films staged in Ehime, Japan )
<映画「赤い橋のある町で」パンフレットより引用>
こんにちは、ヒメブタの会です。お立ち寄りいただきありがとうございます。代表を務めております、森と申します。
どうしても映画が作りたくて会社を辞め、「ヒメブタの会」を立ち上げたのは10年くらい前のこと。その頃から、ただ自分の作りたい作品を作るのではなく、「地域振興を目途として地域の人たちと一緒に」「映画づくりの効能を世に示す」という2つのコンセプトを掲げていました。
我々が作るのは稚拙で小さな映画です。劇場で公開される商業作品とは、予算だけでも百倍、千倍の開きがあります。出演者やスタッフも全てボランティアの素人です。でも、この環境で映画づくりができるということは素晴らしいことです。この活動で演技や撮影に触れ、プロを目指していく方も珍しくはありません。いや、実際にプロになった人、賞をとった人もいます。私には映画で有名になりたいという野望も才覚もないため、こういった特に若い人たちの背中を押し、その成長していく姿を間近で見られるということは何にも代え難い喜びです。参加した人や地域に影響を与える。これは私たち流の映画の作り方の効能のひとつだと思っています。
4年前からは学生向けの映画教室(企業・自治体および教育委員会主催)を始めることができました。そして3年前に始まった市民映画事業(公益社団法人松山青年会議所・松山市共催)。この巨大なワークショップは、100人規模の参加者たちの指導を行いながら、協働で地元を舞台にした映画を作り発表するプロジェクトで、私の長年の夢でもありました。こういった活動を通じて、次代を担う人材が育っていくこと、地域に健全な文化の灯がともり続けていくことを願って止みません。
「赤い橋のある町で」は、大洲市長浜地区の地域振興、そして世界に誇れる学術活動がありながら生徒数減少に悩む長浜高校の紹介を柱として制作されました。制作に当たっては長浜地区にお住まいの方々、行政、様々な方の献身的な協力を賜りました。この誌面では書ききれないほどたくさんのご助力をいただいた中でも、特に今作品の舞台となった愛媛県立長浜高等学校には感謝の言葉もありません。学校と生徒・地区のためならと胸襟を開いて相談に乗ってくれた上田校長。笑顔の陰で様々な障壁を乗り越えていただいたことと思います。実務を取り仕切ってくれた西村教頭、あなたの日頃の信用があったからこそこのプロジェクトを無事進捗させることができました。休みの日にも笑顔で当直いただいた先生方、そしてこの実際に存在する長高水族館部を作り、育ててきた重松先生。水族館部、生徒の皆さん、本当にお世話になりました。
主題歌を提供していただいたジャパハリネットの皆さん。彼らは再結成後、地元に根を張った活動に重きを置いています。メインビジュアルをデザインしてくれた仲尾くん。彼は長浜今坊出身で、今は誰でも知ってるようなアーティストさんのジャケット等をデザインする超売れっ子です。カンコ―学生服さんからは生徒役全員分の制服を無償提供いただきました。質素倹約の台所事情の中これは本当に助かりました。清水前市長。試写会で長浜の未来を語り合った後の急逝の知らせに言葉が出ませんでした。きっと赤橋の架かる空の上から見守ってくれていることと思います。
そして何よりも長く、温かくこの制作を見守ってくれた長浜地区の皆さん。ありがとう。この映画は皆様のものです。できればこれからもこの作品を可愛がってやってください。地域の一時代を切り撮ったこの小品が、地域に残ることを願います。
赤い橋がつなぐ人の心。あらしの風は厳しいが、その魅力が人を呼ぶ。そして、あらしが過ぎ去った後はやすらぎと豊漁をもたらす。それはいつまでも夜ではない、人の人生にも似て。
愛媛を舞台にした自主映画の会(ヒメブタの会)代表、松山市出身。
大学卒業後地元に戻り、出版・広告会社である株式会社エス・ピー・シーに勤務後、2009年同会を設立。
松山市民映画事業総合プロデューサー、愛媛国際映画祭審査員、河原アート・デザイン専門学校非常勤講師、中高校生映画教室・演技ワークショップ等プロデューサー・講師。
新聞・ラジオ・テレビ出演、講演・エッセイ等多数。